高度に発達したテラフォーミングは
「高度に発達したテラフォーミングはガーデニングと見分けがつかない」
2ちゃんねるで見つけた、有名なクラーク第3法則「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」のパロディ。
面白かったのでメモ。
「高度に発達したテラフォーミングはガーデニングと見分けがつかない」
2ちゃんねるで見つけた、有名なクラーク第3法則「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」のパロディ。
面白かったのでメモ。
「生き残るのは強いものではなく変わることができるもの」
なんて、ダーウィンは言ったらしい。
っと、ここまでがクマ園長のお言葉。
イブニング連載の動物園マンガ、ZOO KEEPERから。
いかにもダーウィンが言いそうな台詞だけど、ほんまかいな。
出典はどこかな?
世の中の人に欲しい物を聞いていたら「もっとはやい馬をくれ」と言っただろう。
ググってたら見つけた、ヘンリー・フォードの言葉。
彼は「もっとはやい馬」のかわりに、別のものを、世の中の人が本当に必要とするものをつくった。
そしてヘンリーは自動車王になった。
深いねぇ。
何かをつくろうとするとき。
例えば工業製品。
例えばマンガ、アニメ、ゲームのような娯楽。
例えば晩ご飯のおかず。
「なにがほしい?」「どんなのがいい?」と消費者に聞いて、まともな答えが返ってくることは、まずない。
なぜなら。本当に欲しい、本当に必要なものが何かは、筋立て順序立て、よくよく考えなければ答えは出ない。そして消費者は(僕も含め)、ふだんそんなことは、なーんも考えてないのである。
「えー、コロッケがいいって言ってたのにー!」とむくれても、しょうがないことだ。
逆に言えば、ここで頭を絞って考えて、本当の答にたどり着けば、価値を生み出すことができる。
商売なら利益につながる。
対人関係なら、好感をゲットすることができる。
言うは易し、だけどね。
余談
「なにがほしい?」は分からなくても、「今回はどうだった?」なら、一応ちゃんとした答えを聞くことができる。
考えるのに時間はかかっても、感じるのに時間はかからないからだ。
このやり方を通したのが、少年ジャンプのアンケート至上主義だね。
ただし、このやりかただけでは、今あるものでどれがいいかは分かっても、今無いものをみつけることはできない。
ジャンプは、得体の知れない新人作家をどんどん使い捨てることで、バランスがとれてたわけか。
「原始、SFはバカ話であった」
ネットで見つけて、妙に納得した一言。
ソースは、SFバカ本。「バカSFの聖典」だ。
帯のアオリにあった言葉だそーだが、そんなのあったっけ?
記憶にあるような、無いような...。
原始、SFはバカ話だった。
いや、今なお、SFの本領はバカ話にある。
優れたSFは、同時に、優れたバカ話である。
でも、優れたバカ話ってなによ??(笑)
そいえば、「SFの90%はクズである」なんてのもあったなあ。シオドア・スタージョンの「スタージョンの法則」か。
フランス共和国政府の裁判所は、そう言って大化学者ラボアジェをギロチン送りにしたそうな。
フランス革命後、めったやたらに死刑が行われた時代の話だ。
イギリスから導入されたばかりの陪審員制度。
不慣れな素人さんによる裁判。
ラボアジェのようなエピソードの一方で、「葡萄酒を一気飲みして演説。その度胸っぷりがよかったから無罪」なんて話が残っている。
事実関係よりも印象や心情、ぶっちゃけ「その場の雰囲気」優先だったんだろう。
「科学を必要としない」と言い切った人民の裁判は、ラボアジェの偉大な業績に、心動かされることは無かった。
そもそも、「酸素がどうとか」「反応後の質量がどうとか」なんて、本当にどうでもよかったんだろう。
閑話休題。
「人民は科学を必要としない」はひどいと思うが、それはそれとして。
いくら優れた科学者でも、犯罪はさばかれるべきだ。
ラボアジェは徴税請負人で、未納税者(の、おそらくは平民)から(場合によっては暴力的に?)お金を取り立てていたそうな。ご本人がやったんじゃなくて、そういう組織を運営してたらしい。
素晴らしいが高価な彼の化学実験設備も、偉大な業績も、徴税請負人の収入なくしてはありえなかったかもしれない、と思うと、ちょっと複雑。
余談だが、彼の14歳年下の奥さん(才女で、彼の有能な助手でもあった)も、組織の有力者の娘さんだったりする。
徴税請負人という職業は、革命前は合法だったかもしれないが、フランス共和国政府にしてみれば、「憎き旧王制の手先」てな感じだったんだろう。
彼の死刑が妥当なものなのか。現代人にしてみれば「死刑にするほどのこと?」だけど、判断はむずかしいね。
でもね。やっぱり僕たち人民には、科学が必要だとおもうのよ。
数学は科学の女王にして奴隷
書店で見かけた本のタイトルから。
なんというか、言い得て妙、味のある言葉だ。
原題は「MATHEMATICS Queen and Servaant of Science」で、こっちはこっちでよいのだが、訳の方がずっとおもむきがある。コレは訳者河野繁雄氏のお手柄だろう。
サブタイトルの「科学の下働きもまた楽しからずや」との合わせ技もいい。
いろいろ応用も利きそうだ。
余談だが、整数論のことをアリスマティックって言うのね。あの「不思議の国のアリス」のアリスを連想してしまうけど、綴りも発音も違うみたい(苦笑)。本職数学者のルイス=キャロルとしては、気になる名前だったのかも。
疑うことは、罪ではありません。
探偵社のちらしに、こんな文句があった。読んで、思わずうなってしまう。探偵社の広告としてよくできている上に、なんというか、物事の核心を突いた、なかなか蘊蓄のある言葉じゃないか、と、思う。
疑うことは、罪ではない。少なくとも、それ自体は悪いことではないはずだ。
でも、僕たちは心のどこかで、疑うことは悪いことだと思っている。
何かを疑うと「うしろめたさ」を感じてしまうのは、事実だ。それを「罪の意識」と呼んでも、間違いではないかもしれない。でもなぜ、後ろめたさを感じてしまうのか。
そりゃ、疑われるのはいい気分じゃない。じゃあ、相手を不愉快にさせるのが罪?
それもおかしいような気がするが、どうだろうか。
科学は、ある種、疑うのが仕事だ。
疑って疑って、それでもしっぽを出さなかったものを、とりあえず、真理ということにしておく。
科学者が罪深いかどうかはともかく、不愉快な存在だ、というのは、アタリかもしれない。
歴史考証や科学考証等はそれぞれ「歴史的」「科学的」に正しいか否かを裁定する仕事だが、「SF的に正しい」などというのはまさしくナンセンス以外の何者でもない。
創元文庫版「渦動破壊者」の訳者、小隅藜氏のあとがきから。
自称「日本で初めて『SF考証』の肩書きを使った」(?)小隅氏が言うと、存外、重く感じられるかもしれない。
油断すると、ついつい、言っちゃうよね。
「コレ、SFとしてどうよ?」とか。
続けて、「SFを読み慣れた人に笑い飛ばされないように配慮する」くらいがせいぜいだろう。と小隅氏は語るが、これはこれで、厄介な大仕事だ。
スレたSF読みはえてして、些細なことにツッコミを入れることに、快感を感じる生物なのだから。
え、自分は棚上げしてますよ。ハイ。
それはそうと、「科学な名言」で始めたはずのカテゴリなのに、だんだん「SFな名(?)言」になってきているような気がするのは、なぜ?
「ハインラインの警告を忘れるな―我々は読者のビール代と張り合っている」
(アメリカSF作家協会の会長が、SF作家に向けて会報で放った警句、とのこと)
世代型宇宙船ネタ書いててハンラインをググったら、携帯アプリまわりさんのサイトでこんな名文句をみっけので、載っけさせていただきます。カテゴリの「科学な名言」とはちょっと違うけど、いいよね。
もともとこの言葉はSF作家に向けたものだけど、言葉の対象は、SF作家に限らないと思う。
大なり小なり商売に関わる人にとっては、核心を突いた一言じゃないかな。結局商売は、お客様に何かを我慢させて、買ってもらうものなんだと。
余談だけど、この問題の唯一絶対の解決策は、「ビール会社に就職する」だと思う(笑)。
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