ショートショート 地球最後の男女
「ママ、どうしてパパと結婚したの?」
「ほかにいなかったから」
−おしまい−
こちらのブログで、光速が普遍なら、ドップラー効果自体も起こらないとするのが、当然だと思うのですがとのご指摘があり、ハタと考え込みました。
頭の中では「そんなハズは」と思うんです。
でも、どうもシンプルに説明できない。
「時計がゆっくりになるから」? いやまてそれじゃ青方偏移が説明できないぞ。
えーっと、だからー...さんざん頭を悩まして、考えた説明がコレです。
1)光は「波」
2)光の色は「1秒当たりの振動数」
振動数大=青 振動数小=赤
3)地球から遠ざかるロケットから1秒だけ光を送る。
4)地球から「光って見える」時間は1秒より長い。
ロケットが動いた分、出し終わりの信号が届くのによけい時間がかかるから。
5)振動する回数は同じなので、「1秒当たりの振動数」は小さくなる。
よって赤く見える(赤方偏移)
同じ原理で、近づいたときは「光って見える」時間は1秒より短くなり、青方偏移がおこります。
実際には「特殊相対性理論による時計の遅れ」も勘定に入れなきゃいけませんが。ドップラー効果のミソは「伝搬速度が変わること」ではなく、「伝搬速度が有限」だから起こるのだ、そんなところでしょうか。
ローレンツ変換に「相対速度」「出し始めの時間」「出し終わりの時間」を入れれば、もっと精密な「光のローレンツ収縮」が計算できます。
相対性理論によれば、なにものも光の速さを越えて情報を送ることはることはできない。
できないといわれればやりたくなるのが世の常で、様々な超光速通信が考えられた。
中でも「だれにでもわかりやすく、ばかばかしくも本当っぽい」のが、ここで紹介する棒通信だ。
【棒通信】
とてつもなく長い、たとえば1光年くらいの長さの棒を用意する。
信号を伝えたくなかったら、棒を「くいっ!」と引っ張る。
すると1光年先で、棒が「くぃっ」っと引っ張られる。
こうして、1光年先に瞬時に信号を伝える、超光速通信が実現される。
ネットでもけっこう見かけるので、ご存じの方もいるだろう。
さて。結論から先に言ってしまうと、棒通信で超光速は実現できない。
でも、「実現できないことをきちんと説明する」のは、意外とむずかしい。ネットでも、「できない」とはいうものの、いまいち漠然しない説明が多いような気がする。
自分なりに、説明してみよう。
【なぜ棒通信で光速が越えられないか】
そもそも、棒通信が信号を伝える速度は、どれくらいだろうか。
瞬時に信号が伝わるのだとすれば、超光速に1光年もの長さはいらない。ほんの1メートルの長さで十分だ。棒をほんの1ナノメートルほど引っ張って、3ナノ秒以内に信号が伝われば、あこがれの超光速だ。
実際には、棒通信の伝わる速度は、棒を伝わる音の速さ(音速)と同じ事がわかっている。棒を引っ張ったとき、のびて、縮んでするのが伝わる速度だ。
よって、光より早く音が伝わる手段が見つからない限り、棒通信による超光速は実現できない。
【なぜ棒の信号は音速で伝わるのか】
そもそも、棒を押すと、なぜそれが伝わるのか。
棒は原子でできている。原子は他の原子と、電気的な力で影響を及ぼしあっている。
ある原子が移動すると、近隣の原子への電気的なバランスが崩れる。お互いの電気的な影響力は、バランスを戻す方に力が働き、たとえば横の原子が押し出されるように移動する。それがさらに横の原子が移動し、その繰り返しで、棒全体が押されることになる。
原子間の力はあくまで電気的な力で、電気的な力は光より速く伝わることはない。結局、原子間の押し合いへし合いする速度は、光速以下、実際にはずっと遅い速度(音速)で伝わる。
【のびない物体を使えば?】
伸び縮みのない物体は存在しない。
特定の条件を満たした場合、近似的に、物体は伸び縮みしないと考えてよい。実際には伸び縮みがあるのだが、他の減少に比べ影響が小さく、無視してもかまわないようなケースだ。物理のテストでは、そんな状況がよく出てくる。
ただし、超光速棒通信では、物質の伸び縮みが無視できるほど小さくなることはない。
【原子以外でできた物体なら?】
たとえば、中性子星を作っている中性子は電磁気力でなく、いわゆる「強い相互作用」でむすびついている。
でも残念ながら、強い相互作用も光速を越えることはないらしい。
物理学で知られている4つの相互作用「強い相互作用」「電磁気力」「弱い相互作用」「重力」はすべて、光速でしか伝わらない。よって、今の物理学で超光速棒通信を実現する棒は考えることはできない。
というか、超光速で伝わる相互作用がちゃんと存在するなら、棒なんて使わなくてもそれをつかえばいい。
補足。
実際には、いくつかの方法で、超光速通信が可能ではないかと考えられている。ワームホールを使った方法などだ。
アニメ「機動戦士ガンダムZZ」を視てたら、戦没者慰霊衛星なるものが出てきた。
ちょっと出てこない発想だ。
ネオジオンのハマーン・カーン様が計画中らしい。ある意味、とても「あの人らしい」アイデアかもしれん。
立体映像ネタの続き。
立体映像と空間投射は、分けて考えた方がいいんじゃなかろうか、というお話。
立体映像とは、「立体に”見える”映像」のこと。
空間投射は、何もない空間に映像を投射すること。
どうも立体映像というと、空間に投射された映像をイメージするが、かならずしもその必要はない。
特殊な眼鏡を使った、いわゆる”3D映画”は、あたかも空間に映像が飛び出したように見えるが、見えるだけだ。映像そのものは、スクリーンに映っている。先に紹介した東芝の立体映像装置も、映像そのものはディスプレイ上に限られる。空間に投射されているわけじゃない。
立体映像必ずしも空間投射ならずだ。
では、空間投射なら立体映像かと言うと、そうでもない。
空間投射の映像は、べつに立体でなくてもいい。映画アイ・ロボットには、登場人物の空間投射映像が出てくるが、映像は立体ではなく、ぺちゃんこの2次元映像だった。
とはいえ、両者が完全に無関係だ、というわけでもない。
理想の「映像」を追求していくと、結局は、「立体映像」の「空間投射」にいきつくのではないだろうか。
なにせ、「そこにあるモノを写す」のが映像だ。モノは立体だし、空間にぽんと存在している。
映像も、そうであるべきだ。
あとは、触れればベストか。
目指せ、ホロデッキ。
つーわけで、人を殺すロボットが、正式に軍隊に採用されるらしい。
もちろん、ロボット工学3原則なんて、搭載されてないだろう。兵隊ロボットが「まず人を傷つけてはならない」では、仕事にならない。
センサーからの情報が一定の判断基準を満たせば、弾丸をばらまくのか..なんて思ってたら、どうやら「マシンガンの使用は無線による遠隔操作に限る」らしい。引き金を引くのは、あくまで人間。
人殺しロボットを認めることは出来ても、人を殺す判断をロボットに与えるのには、まだまだ心理的な抵抗があるのかもしれない。実際には人間の造った基準でプログラム通りに殺すだけだとしても。
うーむ、フランケンシュタイン・コンプレックス。
クェーサーといえば、1963年に発見された、宇宙の遥か彼方にある謎の天体だ。
地球から、(比喩ではなく本当に)100億光年の彼方にある。
早いものは光の90%以上のスピードで、地球から遠ざかっている。
宇宙が生まれて間もない頃に誕生した。
太陽の一兆倍もの光を放っている。
云々。なんとも得体の知れない天体なのだ。
ところが、最近の天文学は、クェーサーの正体をある程度、看破してしまったらしい。
詳しくは、クェーサーの謎 宇宙でもっともミステリアスな天体を参照してほしい。
タイトルに反して、クェーサーの幻想を見事にはぎとってしまった本なのである。
クェーサーの正体がただの●で、今ではご近所でもありふれたアレになっているとはねえ。
そこに至る科学的観測と理論の展開は非常にスリリングで楽しいし、ウルトラ赤外線銀河やらスターバーストやら格好良くも耳新しい単語にワクワクもするのだが、一SFファンとしては、クェーサーにはミステリアスなままでいてほしかったような気もする。 でも面白い本なので、お勧め。
余談だがこの本、2004年11月販売なのに、2004年10月現在の情報が載っている。
出版の電子化で、原稿から本になるまでのスピードが上がってるんだろうな。
米軍が「神の目」開発、だそうな。
スパイ衛星が衛星軌道から撮った映像に、歩兵一人一人がアクセスできるようになるとしたら、確かに強力な軍隊になるだろう。
でも、戦況が一旦不利になったら、兵隊さんの士気がどっと下がったりして。
キャプテンフューチャーを再読して「へぇ」と思ったのが、重力制御装置の存在だ。
キャプテンフューチャーの世界では、重力制御を行う装置がすでに一般化している。だから、高重力の木星でも、低重力の金星でも、同じように冒険することができる。
と、まあ、お話ではそうなっている。
「いったいどの範囲が制御されているのかよくわからん」とか、「周囲の環境はやっぱり重力の影響を受けたままなんじゃないの?」とか、ツッコミどころはあるものの、「読者の余計な心配を取り除く」という点では、よく出来た設定だと思う。
無重力。低重力。高重力。
こいつらを正確に描写するのは、意外と難しいんじゃなかろうか。
単に「身体が軽くなる・重くなる」だけの話じゃない。
例えば、振り子の周期が変わる。モノが落下するスピードも変わる。細かく考証していけば、きりがない。
その割に、頑張って正確な考証しても得るものは少ないように思う。
重力の違いそのものを丹念に描いても、それはそれで面白いネタになるだろう。例えばアニメ「プラネテス」での月面都市でのエピソードのように。主人公たちは慣れない低重力にオタオタしたり、逆に低重力を利用して大活躍したりする。
でも、重力が主役でなければ、細かい考証はきっぱり脇にどいてもらうというのは、創作として潔い判断だ。
SFで未知なる星を扱うかぎり、重力の問題はついて回る。
しかし、未知なる星の驚異は、決して重力の違いだけではないはずだ。ヒーローを重力ごときでいつまでもオタオタさせるよりは、さっさと他の驚異に対面させた方がいい。
外国に行ったヒーローが、なぜか言葉の問題でオタオタしないように。
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