完全無欠の女優。
新たなコッペリアの誕生。
彼女の名前はシモーヌ。
SIMONEは、SIM(URATION)ONEの略だ。
というわけで、DVDでシモーヌ鑑賞。
映画館で見そびれて、悔しい思いをした一本だ。
テンポがいい。たぶんこの監督、俺と相性がいいんだろう。何故もっと早く見なかったんだろう。
(以下、ネタバレあります。)
落ち目の映画監督ビクター・タランスキーは、才能はあるが自己中社会不適合。「人気女優のわがままをガマンする」という、ハリウッドで生きていくのに最低限のことすらできず、映画は鳴かず飛ばず。製作会社の元妻にも冷たくあしらわれてしまう。
そこに現れたのが、同じく不遇の天才、プログラマーのハンク。彼は自作の「SIMURASION ONE」を持って、タランスキー監督に会いに行く。「これが、あなたの理想の女優ですよ!」。
タランスキーの映画は封切られ、シモーヌは大人気になる。ハンクの言う通り、シモーヌはコンピューターだからこそ作り出せる、理想の女優だったのだ。
シモーヌの秘密は、やがて明かされるはずだった。しかし、そうは問屋が卸さない。
シモーヌの人気はやがて常軌を逸したものになる。ハンクはコンピュータの使い過ぎで早々に死んでしまう。一人残されたタランスキーは、もう、なにがなんだかわからなくなる。
「完璧な女優が登場。実はCG女優だった」という、まるで俺の為にあるようなプロットがいい。
声は若かりし頃のジェーンフォンダ。身体はソフィアローレン。優雅さはまるでグレースケリー。そして顔はオードリーヘップバーンと天使を合わせたようというから、凄い。
実際、タランスキー監督がSIMURATION ONEを使って、往年の名女優のエッセンスを混ぜ合わせるシーンがある。この作品の見所の一つだ。
軽妙でいて深読みのできるシナリオがいい。
タランスキー監督が不幸になる様が、正直、楽しい。
最初はうさんくさいと思っていたハンクを、自分の映画をベタボメされて少し信用してしまうとか。
自分に惚れたと思った女が、「あのシモーヌみたいにわたしを愛して!」と言いだして、一気にさめちゃうとか。
「俺が彼女を世に出したんだ!」と言ったら、元妻に「違うわ。彼女のおかげであなたが世に出れたんでしょ」と、軽くいなされちゃうとか。
自分の思い通りになる女優を手に入れたつもりが、シモーヌにボロボロになるまで振り回されて、ホント、アタマ・タランスキー監督である。
そして、映画には、監督以上にシモーヌに振り回される、一般大衆の人々が描かれる。
彼らはシモーヌに熱狂し、時に人生まで変えてしまう。一体、シモーヌは何なのか。
映像特典のインタビューが、また面白かった。
バーチャル俳優を、
「完全無欠の俳優がいれば映画監督は大喜びだ。」
「制作会社にとっても理想の俳優だ」
という監督。
「制作会社の夢 俳優の悪夢だね。」
「俳優の職を失う日がくるんだろうか。」
「あり得ない話じゃないからなんだか怖いわ。」
という俳優たち。
映画の中でタランスキー監督を演じるアルパチーノは、
「俳優は、映画を見る人との間に心のつながりを持つことができる。
コンピュータにそれができるとは思えない。」
というけれど、彼ほどの名優でもCG俳優の本質を見誤っている。
同じインタビューの中でCGスタッフがいみじくも言っているように、CG俳優に魂を込めるのはアニメーターやプログラマー、俳優と同じ人間なのだ。
使われなかったカットで、シモーヌのシステムを作った不遇の天才プログラマー、ハンクが言っている。
「ディズニーはずっと昔から作り物の俳優を使ってきた。」
彼らは俳優と、ずっと同じ土俵で戦っていたのだ。ただ、戦い方が違うだけだ。
余談。
本編で一番バーチャルな存在は、エヴァン・レイチェル・ウッド好演の、監督の娘レイニーだろう。
「パパ大好きっ娘」なんて、空想上の存在だ。しかも年頃で、かわいいときている。ぶっちゃけありえない。おそらくあのラストは、追いつめられて本当にイっちゃったタランスキー監督の、妄想だったんだろう。
そうすれば、あの唐突な展開も、レイニーの彼氏が登場しないのも、いきなりコンピュータのシステムが復旧できるのも、ちゃんと説明がつく。
なんてね。
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